母親を「ただの人」として見てみたら

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家族の誕生日は、ケーキだけ

母と兄嫁の誕生日が近いので、以前はその時期になるとケーキを買いに行っていました。

盛大なお祝いをするわけではありません。

家族の誕生日には、ケーキだけ用意する。

それくらいです。

「家族、仲がいいよね」と言われることがあります。

けれど、自分では、ものすごく仲がいいとも思っていません。悪くもない。

普通に、なんとも思っていないくらいの平坦さです(笑)

家族とずっと一緒にいるには、この平坦さが案外ちょうどいいのかもしれません。

「母親なら」の配役表

ただ、最初からこうだったわけではありません。

私の中にも、母への思い込みや葛藤がいろいろありました。

母親なら、娘の気持ちをわかってくれるはず。

母親なら、こういうときは味方をしてくれるはず。

母親なら、こんなことは言わないはず。

「母親」という役に自分なりの正解をたくさん書き込み、その通りに演じてくれない目の前の人に腹を立てる。

人生劇場の配役表には、ときどき本人に渡していない演出指示がびっしり書かれています。

相手はその台本を読んでいないので、当然、こちらの思うようには動きません。

やかんにこぶしを当てる人

母親という役へのこだわりが少しずつほどけてくると、別の人が見えるようになりました。

あるとき母は、

「洗濯物は、こぶし一つ分あけて干した方がいいらしい」

と得意そうに言いました。

そして、例えとして洗濯物に見立てた、沸かしたてのやかんにこぶしを当て、熱さにびくっとしていました。

別の日には、レストランでスープを飲みながら、

「これ、ものすごく飲みにくい」

と言っていました。

手に持っていたのは、取り分け用のお玉。

いや、目の前にスプーンがありますけど(笑)

「私の望む母親」として見ていたら、こんな場面でも素直に笑えなかったかもしれません。

でも、母親という役を少し外してみると、そこには、かなりおもしろい(天然な)一人の人がいました。

役を外すと、一人の人が現れる

母親だから。

父親だから。

娘だから。

兄だから。

家族には、長い時間をかけて作った役があります。

その役があるから助け合えることもありますが、役に期待を詰め込みすぎると、その人自身が見えなくなることもあります。

もちろん、傷ついたことを「家族だから」でなかったことにする必要はありません。

無理に仲良くする必要も、すぐに許す必要もない。

ただ、心の中に少し余白ができたとき、

「この人は、母親である前に、どんな人なのだろう」

と見てみる。

すると、今までの脚本には出てこなかった表情が見えることがあります。

涙を流しながら一緒に笑える人は、案外貴重です。

完璧な母親ではなかったとしても、やかんで熱がる、おもしろい人とは笑い合えるかもしれません。

人生劇場を分析して、家族との付き合い方が変わったとしても、相手が別人になるわけではありません。

それでも、自分の決めた役割から、その人をちょっと解放してみるだけで、同じ人が違って見えることがありますよ。


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