「お母さんは、お兄ちゃんの方が好き」が心に残るとき

友人と、友人の小学生の息子さんと一緒に、ライブへ行ったことがあります。

幼稚園の妹さんは、お父さんとお留守番でした。

お母さんとお兄ちゃんだけがお出かけすると知った妹さんは、ずいぶんご機嫌ななめだったそうです。

「雪が降って、ライブがなくなればいいのに」

大人から見ると、少し可愛らしい嫉妬です。

けれど、本人の人生劇場では、なかなかの一大事です。

お母さんとお兄ちゃんが、自分を置いて楽しそうな場所へ出かけていく。

玄関のドアが閉まったあと、心の中では別の物語が始まります。

「お母さんは、お兄ちゃんの方が好きなんだ」

目次

看護師さんごっこのおもちゃでは、ごまかされない

私にも、よく似た記憶があります。

母と兄が、会社の慰安旅行のようなものへ出かけ、私は留守番をしたことがありました。

看護師さんごっこができるおもちゃを買ってもらったのですが、子どもの私は思っていました。

「これで、ごまかされないぞ」

おもちゃはうれしい。

でも、置いていかれたことは別です。

子どもの心の中では、

「お母さんは、お兄ちゃんばかり可愛がる」

「私は、どうでもいいのだ」

という脚本が、静かに書き込まれていきます。

忘れた出来事の、感情だけが残る

親から見れば、兄だけを連れていく事情があったのかもしれません。

別の日には、妹だけを連れて出かけたこともあったかもしれません。

実際、友人も「妹だけを連れていったこともあるのに、そのことは言わない」と笑っていました。

心は、すべての出来事を公平に議事録へ残してくれるわけではありません。

うれしかった日より、悲しかった日の方が、妙に鮮明に残ることがあります。

そして大人になってからも、誰かが自分以外の人を優先したとき、昔と同じ寂しさが立ち上がります。

恋人が友人との予定を優先した。

職場で自分ではない人が選ばれた。

仲のいい人が、別の誰かと楽しそうにしていた。

目の前で起きているのは大人の出来事でも、心の中では、あの日の玄関のドアがもう一度閉まっているのかもしれません。

今の出来事と、あの頃の脚本を分ける

「また私だけ、選ばれなかった」

そう感じたとき、気にしすぎだと自分を叱る必要はありません。

その寂しさには、長い物語があるのかもしれないからです。

ただ、今の出来事が本当に「私は大切ではない」という証拠なのかは、少し分けて見てみてもいいと思います。

今、目の前にいる人は何を言ったのか。

私は、その出来事をどんな物語にしたのか。

昔の自分は、何をわかってほしかったのか。

あの頃の子どもは、看護師さんのおもちゃより、「あなたのことも大切だよ」という言葉がほしかったのでしょう。

その気持ちに気づくと、目の前の人へぶつけていた寂しさを、少しだけ自分の手元へ戻せます。

家族の中で作られた脚本は、家族以外の舞台にも、しれっと出演します。

何度も同じ寂しさがやってくるなら、今の人間関係だけではなく、最初にその役を覚えた頃をのぞいてみると、物語の始まりが見つかるかもしれません。


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