嫌われていたのかな、と昔の記憶が痛むとき

図書館で借りた小説を読んでいたら、子どもの頃のことを思い出しました。

小学生のとき、学校に置いていた私のピアニカがなくなったことがあります。

しばらくして見つかったのは、私の通学路とはまったく違う場所にある田んぼの中でした。

泥だらけで学校へ帰ってきたピアニカは、洗ったり拭いたりして、そのあとも使いました。それでも、そこはかとなく残っていた泥臭さを覚えています。

出来事よりあとに、物語が始まる

大人になってからその記憶が浮かんだとき、胸の奥が少ししょぼんとしました。

誰が捨てたんだろう。

私のことが嫌いだったのかな。

私は、嫌われていたのかな。

ピアニカが田んぼに捨てられた。これは起きた出来事です。

けれど、「だから私は嫌われていた」は、出来事のあとに自分でつけた意味です。

もちろん、誰かに腹を立てられていた可能性はあります。子ども同士ですから、喧嘩もするし、ムカつかれることもあるでしょう。

でも、誰が何を思っていたのかは、今もわかりません。

わからない空白に、心はもっとも痛い答えを書き込みます。

昔の場面で、今の自分を決めなくていい

人は、昔の出来事そのものより、そこから作った物語に長く傷つくことがあります。

「私は嫌われる人なんだ」

「大切に扱われない人なんだ」

そんな脚本ができると、今の人間関係でも、返事が少し遅いだけで続きを始めてしまいます。

ほら、やっぱり。

また嫌われた。

新しい場面なのに、ずっと昔のピアニカが田んぼから出てくるのです。なかなか働き者の小道具です。

過去をなかったことにする必要はありません。

ピアニカは捨てられた。それは覚えている。

でも、その出来事を使って、今の自分まで「嫌われる人」にしなくてもいい。

昔の記憶が痛んだときは、起きたことと、自分がつけた意味を分けてみる。

すると、あの場面は人生全体の証拠ではなく、子どもの頃に起きた一つの出来事へ戻っていきます。

泥の匂いまで覚えていても、その続きを今も演じる必要はないのです。


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