母と話していたときのことです。
兄が小学校へ入学した日の話になりました。
ランドセルを背負って家を出ていく後ろ姿を、母は今でも鮮明に覚えているそうです。
大きくなったなぁ・・・じんとして涙が出た。そのときの体の感覚まで覚えている、と。
そこへ、何気なく一言が足されました。
「あなたのときは覚えていないけど」
胸の奥が、ちくっとしました。
大人の私は、事情をわかっている
一人目の子どもには、初めてのことがたくさんあります。
初めて寝返りをした日。初めて歩いた日。初めて幼稚園や学校へ送り出した日。
親にとっても初体験なのだから、記憶に残りやすいのは当然です。
二人目になると、親は一度その道を通っています。感動がないわけではなくても、驚き方は少し違うでしょう。
大人の私は、それくらいわかっています。
そりゃ一回目のほうが印象は強いでしょうよ、と説明もできます。
それでも心の奥には、別の私がいます。
「私のことも、同じように大事に思っていてほしかった」
母にとって私は、二人いる子どものうちの一人です。
でも私にとって、母はたった一人なのです。
正しさで、寂しさは消えない
家族の中で感じた寂しさを話すと、「でも、お母さんにも事情があった」「ちゃんと愛されていたでしょう」と説明されることがあります。
それはたぶん、正しい。
ただ、正しい説明を聞いたからといって、胸のちくっとした感じまで消えるわけではありません。
親を責めたいのではなく、あのときの自分が「私も見てよ!」と言っているだけなのです。
大人になった今なら、その声を無視せずに聞けます。
覚えていてほしかったよね。
同じくらい感動してほしかったよね。
そう認めるだけで、心の中ですねていた「二番目の子ども」は、少しこちらを向きます。
親の記憶に残っている場面の数で、愛情の量を測ることはできません。
それでも、覚えていてほしかった気持ちは本物です。
大人の事情で説得する前に、まずその小さな悲しみを、自分が覚えておいてあげる。
あの頃の自分を置き去りにしないで、見つけてあげる。
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