親が弱ったとき、自分だけ楽しむことに罪悪感がある

父の検査のため、病院へ送り迎えをした日のことです。

場所は京都駅の近く。

両親は病院へ。

私は伊勢丹へ(笑)

1年前には車椅子だった父が、その頃には手押し車と杖で歩けるようになっていました。

家の中では、杖なしで少し歩けることもある。

その姿を見て、ずいぶん回復したなと思いました。

けれど、父が病気になってからの数年は、両親の生活だけでなく、私の心の中も大きく揺れていました。

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親が大変なのに、私は好きなことをしていていいのか

父が悪性リンパ腫になった頃、私は東京で暮らしていました。

病気が落ち着いたと思ったら、今度は歩けなくなった。

両親の生活が大きく変わっているのに、私は東京で自分の好きな仕事をしている。

のんびりしていてはいけないのではないか。

帰って、もっと役に立つべきではないか。

そんな罪悪感が出てきました。

やりたいことがある自分と、親の役に立たなくてはと思う自分。

どちらも本当の気持ちです。

家族が弱ったとき、「自分の人生を楽しむ役」は急に悪者になりやすいんですよね。

親の中にも、二つの気持ちがある

一方、親にも葛藤があります。

近くにいてくれたら安心する。

できれば助けてほしい。

でも、子どものやりたいことを邪魔したくない。

迷惑をかけたくない。

親は親で、いくつもの気持ちを抱えています。

それなのに、子どもが先回りして「全部やらなくては」と背負うと、お互いに本音を言いにくくなります。

頼みたい親と、断れない子ども。

手伝いたい子どもと、迷惑をかけたくない親。

家族の中で罪悪感がぐるぐる回り始めます。

できることはやる。できないことはお願いする

私はこの時期、迷惑をかけてもいい、役に立たない時間があってもいい、と自分に許す練習をしていました。

できることはやる。

できないことは、ほかの人にお願いする。

自分の生活も続ける。

いきなり全部を手放す必要はありません。

まずは一つ、人に頼んでみる。

付き添いのない日に、自分の予定を入れてみる。

そこで「案外、大丈夫だった」を重ねていく。

親を大切にすることと、自分を犠牲にすることは同じではありません。

無理を重ねて恨みがたまるより、できる範囲を知っておく方が、家族とは長く付き合えます。

病院の待ち時間に伊勢丹をのぞくくらいの余白は、持っていていい。

自分の人生も手放さない距離が、その家族に合う距離になることもあります。


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