母が白内障の手術をしました。
一週間後には、もう片方の目も手術します。
日帰りとはいえ、前後には何度も病院へ行かなければなりません。
そこで年末まで、送り迎えと家のことを引き受けることになりました。
ごぼうをささがきする。
花を植える。
食事を作り、片づける。
数年ぶりに、しっかり家事をする日々です。
普段なにもしない、この私が(笑)
人の通常運転は、自分にもできるとは限らない
普段の私は、飼い猫のように暮らしています。
目が覚めてから、しばらく布団の中にいる日もあります。
一方、母は暇があれば家の周りを見て回るような、かなり活動的な人です。
その人が毎日していることを、同じようにやろうとすると、すぐに疲れます。
家事の一つひとつは難しくありません。
でも、終わっても次がある。
毎日また同じことが始まる。
数日ならできても、これを通常運転にするのは別の話です。
やってあげたい気持ちと、できる量は違う
家族が困っていると、あれもこれもしてあげたくなります。
相手の期待にも応えたくなります。
けれど、自分のエネルギーを超えて頑張ると、「どうして私ばかり」と気持ちが変わってきます。
愛を出していたはずが、途中から恨みへ変わる。
なかなかの方向転換です(笑)
以前、父の介護をしたときに、「苦しくなるほど頑張らない」と学びました。
今回も、送り迎えができない日時は病院へ先に伝えました。
土日は兄に頼み、自分の予定も残します。
家族を支えることと、自分の生活を全部差し出すことは同じではありません。
当たり前にあるものは、数えられにくい
私は数日家事をしただけで、すでにへとへとでした。
母は、それを五十年以上続けています。
自分でやってみると、その量が初めて見えました。
いつも食事が出てくる。
洗濯物が片づいている。
家の周りが整っている。
ずっとあるものは、誰かが動かしていることを忘れられがちです。
反対に、普段しない私が少し家事をすると、とても感謝されます。
たまにする人の仕事は目立ち、毎日する人の仕事は景色になる。
家族の舞台では、いつも置かれている小道具ほど、誰が用意したのか見えにくいのかもしれません。
見えたものだけでも、なかったことにしない
母のしてきたことを、すべて理解できるわけではありません。
今さら五十年分を返すこともできません。
それでも、自分が代わった数日で見えたものがあります。
家族の中で当たり前になっている仕事を、一度だけでもやってみる。
その人がしてきた量を、想像してみる。
感謝は、無理に持とうとして出てくるものではありません。
見えなかった仕事が見えたとき、あとから静かについてくる。
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