「愛してる」を、特別な言葉にしすぎていませんか

「大好き」は言えても、「愛してる」は言いにくい

「大好き」は言えても、「愛してる」はなかなか言えない。

なんだか急に壮大な話になる気がするんですよね。

恋人に向かって言うなら、まだわかる。

でも、親や友人に「愛してる」と言う場面を想像すると、ちょっと照れくさい。私自身、両親や友人のことを大切に思っていても、「愛してる」と考えたことはあまりありませんでした。

ところが、人から気にかけてもらったときには、わりと普通に思うのです。

「ああ、私、愛されているな」と。

ここで、少し不思議なことに気づきました。

受け取るときは「愛」なのに

「元気にしているかな」と連絡をくれる。

困っているときに、そっと手を貸してくれる。

好きそうなものを見つけて、顔を思い浮かべてくれる。

そういうものを受け取ったとき、私たちはそこに愛を見ています。

それなのに、自分が同じことをしているときは、「ただ気になっただけ」「これくらい普通」と小さく扱ってしまう。

人から届いたものは愛として受け取るのに、自分から出したものは愛ではないことにしている。

愛情の判定が、行きと帰りでずいぶん違います(笑)

「愛してる」ではなく、「愛をしている」

誰かの体調を気にする。

また会いたいと思う。

相手が好きそうなお菓子を、ひとつ余分に買う。

それはもう、愛をしている最中です。

「愛してる」を特別な告白として見ると、急にハードルが上がります。

けれど、「愛をしている」と考えると、愛は日常の中でずっと動いている。現在進行形です。

人生劇場では、派手な台詞だけが愛の場面ではありません。

何気なく差し出したお茶や、「元気かな」と思い出した時間にも、ちゃんと愛は登場しています。

なかったことにしない

愛されているのに、気づかなければ「足りない」と感じます。

自分から愛を出しているのに、数えなければ「私には愛がない」と思います。

本当は滞っていないのに、見えていないだけ。

大きな言葉にできなくても大丈夫です。

今日、誰かを気にかけたなら、それもひとつの愛。

まずは、自分がすでにしている愛を、なかったことにしないところからでいいのだと思います。


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