親戚付き合いは疲れる。でも、いなくなると困る

近所に住む親戚たちが、家に集まったことがあります。

叔父や叔母は、もう立派な高齢者です。

みんなが座って話している間、私はお茶を出したり、お菓子を足したり、空いた器を下げたり。

ちょこまか動く係です。

これが、まあまあ疲れます(笑)

親戚付き合いが多い家では、集まりのたびに食事を用意し、布団を出し、片づけまで続くこともあります。

楽しいだけの行事ではありません。

近いからこその、めんどくささ

家族や親戚は、自分で選んで集めた人間関係ではありません。

話が合う人ばかりでもないし、距離感が少しおかしい人もいます。

昔の話を何度もされたり、聞いていない近況まで詳しく報告されたり。

友人なら少し離れるところを、親戚は何かあるたびに顔を合わせる存在でもある。

若い頃は、その近さが鬱陶しく感じることがあります。

家族なのだから。

親戚なのだから。

この「だから」が、いろいろな役を連れてきます。

家族には話せないことを、親戚には話せる

けれど、子どもが巣立ち、連れ合いを亡くし、家の中にいる人が少なくなると、親戚の存在が少し違って見えます。

母にとって叔父や叔母は、長い時間を共有してきた相談相手です。

子どもには話しにくいことも、同じ世代だから話せる。

昔からの家族事情を、最初から説明しなくてもわかってもらえる。

私はお茶を出しながら疲れていても、母はその時間に話を聞いてもらっています。

目の前の手間だけを見れば面倒でも、その集まりが別の誰かを支えていることがあります。

好きか嫌いかだけでは測れない関係

親戚とは、いつも仲良くしなければいけないわけではありません。

無理な付き合いで消耗するなら、距離を取ることも必要です。

ただ、面倒だから価値がない、とも言い切れない。

たまに集まる。

何かあったときに電話する。

同じ家族の昔話を知っている。

友人とは違う、細く長い役割があります。

親戚付き合いは、好きか嫌いかだけで整理しにくい人間関係です。

お茶を出す側には疲れる時間でも、座っている誰かには、ほっとできる時間なのかもしれません。

その両方があるから、めんどくさいし、ありがたい。

家族の劇場には、主役ではないけれど、いなくなると困る役もいます。


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