片付けられない自分は、人間としてダメ?

片付けられないだけで、人格まで採点される

「片付けたいのに、片付けられない自分が嫌」

そんな話を聞くことがあります。

床に物が置いてある。

洗濯物がまだ畳めていない。

机の上に、あとで見ようと思った紙が積んである。

起きているのはそれだけなのに、頭の中では話が大きくなります。

私はだらしない。

ちゃんと生活できない。

人間としてダメだ。

部屋の話から始まったはずが、いつの間にか人格の採点会です。

人の部屋なら、そこまで思わない

ところが、人の家へ行って少し散らかっていても、「この人は人間としてダメ」とまでは思わない人が多いのです。

部屋は片付いていない。

でも、その人のことは好き。

この二つは、普通に同時に存在します。

自分のことになると、なぜか同時に存在できません。

片付けられないところがひとつあると、自分への好感度まで100から70へ減らしてしまう。

でも、自分を大切に思う気持ちは100のままでいいのです。

その横に、「片付いていない状態は嫌だ」と思う自分がいるだけです。

「片付けられない私」ではなく、「片付いていない部屋」

「私は片付けられない人」と言うと、性格や能力の問題に見えます。

「今、部屋が片付いていない」と言うと、ただの状態になります。

状態なら、必要な分だけ手を動かせます。

本を棚へ戻す。

洗濯物を一枚畳む。

今日はここまでにする。

そこに「こんなこともできない私はダメ」という感情がくっついていると、片付ける前に自分を責める仕事が増えます。

ただでさえ面倒なのに、業務を増やさなくていいのです(笑)

事実と自分の価値を分けてみる

人生劇場では、ときどき小さな出来事に大きな役名がつきます。

片付いていない部屋を見ただけで、「だらしない人」という役を渡される。

期限をひとつ忘れただけで、「何をやってもダメな人」になる。

そんな役が出てきたら、いったん事実へ戻ってみます。

今、何が起きているのか。

それは本当に、自分の価値を決めることなのか。

片付いていないなら、片付ければいい。

片付けない日があっても、自分の価値まで影響させなくてもいいのです。


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