親友がいない私は、人間関係が薄いのか

何でも話せる親友がいない。

休日に必ず会う友達もいない。

連絡を取る人はいるけれど、「親友です」と紹介するほどではない気がする。

そう考え始めると、自分の人間関係だけが薄く見えることがあります。

みんなには心から信頼できる誰かがいるのに、私にはいない。

でも、その「親友」の条件、かなり難しくなっていないでしょうか。

どこからが友達で、どこからが親友なのか

以前、テレビ番組で「どこからを友達と呼ぶのか」という話を見ました。

自分の深い話までできたら友達なのか。

何年も付き合いが続いたら親友なのか。

考えてみると、線引きはかなり曖昧です。

昨日知り合った人でも、なぜか安心して話せることがあります。

長く付き合っていても、話さない部分は普通にある。

「親友なら何でもわかり合える」と決めるほど、その席へ座れる人はいなくなります。

条件が崇高すぎて、ほぼ伝説の生き物です(笑)

三年一緒にいられそうなら、それでいい

その番組で印象に残ったのが、宇宙で三年一緒にいられそうなら、それくらいから始めればいい、という話でした。

相手の内面を全部知ってから、関係を始めるわけではありません。

同じ場所で過ごせそう。

少し話してみたい。

今日、一緒にお茶を飲んでも疲れなさそう。

最初は、それで十分です。

そこから深く付き合う人もいれば、その時間だけで終わる人もいる。

先に関係へ名前をつけなくても、つながりは育ちます。

小さな会話も、ちゃんと人間関係

近所の人と天気の話をする。

お店の人と、野菜が高くなった話をする。

たまに連絡する人へ、思いついたことを送る。

こういう関係は、親友という言葉には入らないかもしれません。

けれど、人と人との間にある温度としては、ちゃんと存在しています。

親友がいるかどうかだけで人間関係を採点すると、今ある小さなつながりを全部ゼロにしてしまいます。

何でも話せる一人がいなくても、少し話せる人が何人かいる。

それも、かなり豊かなことです。

「親友がいない私」という脚本に入りかけたら、関係の名前ではなく、誰といると少し楽なのかを見てみる。

つながりは、肩書きがついてから始まるものではありません。


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